親子で遊ぼうひな祭りの会

女の子ママはもちろん、男の子ママも大歓迎のひなまつり会です。
ランチはちらし寿司や彩のマリネなど可愛く楽しい感じのプレートに仕上げます。
今回は紙芝居やもっちーさんをお呼びしました。バルーンなども使ったオリジナルの紙芝居などとっても楽しそうですよ。
ぜひお誘いあわせの上いらしてください。

○対象 親子10組(今回はお子さんの年齢はいくつでもOK)
○持ち物 おもちゃか絵本1つ お子さんに必要なもの ママの室内履き(靴入れの袋)

ヴァレンタインデイか〜〜

去年のことだ。
コーヒーショップのカウンターの一つ置いた席に座ったご婦人
注文をするなり口を開いた。
「ヴァレンタインデイには参ったわ」
・・・ そんなに渡したい人が多かったのですか?
「そうじゃないのよ。娘なのよ」
「今時は 女の子の間でも交換するのよね」
・・・ ??
「小学校四年生の娘がいるんだけど その事で大変だったの」
・・ いいじゃないですか 何も女性から男性にって決まってるわけでもないし
「いえね それが複雑なのよ」
・・・ ???
「チョコを配らないとイジメの対象になるらしいのよ」
・・・
「『あの子はチョコをくれなかった。あの子は、私を友達と思ってないのよね』ってなるらしいのよ」
・・・ うっは〜 それはヤバイなぁ〜
「それでね『友達と思っていないんだから 友達付き合いしないでおこう』ってなっちゃうの・・・」
・・・ 友達か友達じゃないかをチョコで決めるんだ〜〜
「それだけじゃないのよ」
「そのチョコの交換で ○○グループ △△グループって仲良しグループが決まっちゃうのよ」
・・・ 派閥かぁ〜〜〜
「そうそう そうなのよ」
・・・ じゃあ 結局全員に配るわけ?
「それがね これまた大変なのよ」
「全員に配ったりすると『なによあの子 みんなにいい顔しちゃって〜〜!』ってなって あっちもこっちもに意地悪されちゃうのよ『あの子は信じられない子』のレッテルが貼られちゃうのよね」
・・・ 待てよ〜 じゃあどうするんだよ
「つまり しっかりグループを決めなきゃならないのよ」
「それで 家の子は悩んじゃって 半泣きだったのよ」
・・・ で どうしたの?
「私も悩んじゃって・・・。じゃあ 缶入りのチョコを買って『お母さんからみんなにどうぞ』って一人ひとりに渡さない方法を提案したんだけど・・・。本人はどうしたのか? どうなったか心配で・・・」


子ども社会は 子供同士でどんどん新たなルールを作っている。

子どもたちは早く白黒をハッキリしたいのだろうか?

グレートーンの中では我慢できないのだろうか?

仲間じゃない者は その全てが“敵”なのだろうか?

親の常識も通用しないルール。

・・・ 恐ろしくもある。


去年のヴァレンタインデイのその日

私は 出先の女の子に大きなリボンのかかった袋をもらった。

「ごめんなさい〜〜! 義理チョコよ〜〜!!」

「義理かよ〜〜 まあいいや ありがとう 義理って言われてもボクから何も期待できないよ」

(この年寄りに 本命などある訳がない)

「わかってま〜〜す! 期待していませ〜〜〜ン!」

そこまで言うかよ〜・・・って言いたかったが 茶目っ気たっぷりなその響きが嬉しかった。

大切に家に持ち帰り 開けてみてまた笑った。

きれいな大きなセロファンの袋の中には 細切りの紙のクッション(ボリューム付け)に小さな缶が埋もれていて ポツッと小さなチョコが入っていた。 引出しの中のゼムクリップ入れかホチキス針入れにでもしよう。

机の脇にある6段の引き出し 一番上の段に ルコウソウの種が入っている。あの子は どうしてるかな?

そして もう5年生になっている あの娘さんはどうしたのだろう?

ランチ付きベビーマッサージ講座

ベビーの時期を楽しもう!赤ちゃんとのコミュニケーションを知れば育児がもっと楽しくなる♪オイルを使用したベビーマッサージ講座をおこなっております。終了後はご参加の皆さんでゆい~とさんのランチを♪

「じぶんでできる」を見つめる時

2歳の長男の手を拭く。暮らしの中で欠かさずしている、何ともないようなこと。それをしながら、毎回のように思い出すことがある。
子どもが成長して、自分で手を洗ったり拭いたりすることができるようになっても、拭くところだけは、あえてやってあげるという話。ずいぶん前に読んだ幼児教育についての本に記されていた。

やわらかいタオルを両手に広げて待つ。濡れたちいさな手を迎えたら、力を加減しながらそっと包んで水気を拭きとってやる。それだけのことなのに、0歳と2歳を相手にしながら家事に追われ荒んでいる心が、すーっと落ち着くのを感じる。かわいいなあ、愛おしいな。いつまでこうやって、拭いてあげられるだろう。食事中は力任せにゴシゴシすることも多い分、なんというか、時が止まるような感覚。私はこの子にとって、世界でたったひとりのお母さん。

考えてみたら、自分の手を差し出して拭いてもらうなんて、私を100パーセント信頼してくれていないとできないことだ。実はそのタオルは、触ったら粉々になって消えてしまうかもしれない!出したら最後、きつく挟まれて離してもらえないかもしれない!……なんてことは想像もしないだろうけれど、「ママはぼくの手を拭いてくれる」と信じてくれているんだと思うと、それに応えたくなる。だって、その大前提があるって本当はすごいことなのだ。

「自分でできる」って、素晴らしい。子どもの自信につながるし、生活習慣の自立が早ければ、世話をする親も格段に楽になるはず。
息子も最近「じぶんで!」と言うことが増えてきた。
実際、いろいろなことができるようになった。
自分で靴を履くことも脱ぐことも、揃えることもできる。瓶の蓋を開けられるし、家族のお箸を間違いなく並べられる。熱い汁物のお椀を注意深く持って、ふうふうしながら飲むこともできるし、図書館ではささやき声になれる。エスカレーターの乗降も巧みだし、弟が泣きやまないとき「だいじょうぶだよ」となだめてくれることだってある。できる、見事にできる!できるのオンパレードだ。

そんな子どもが「やって!」と言ってきた時、大人はつい言いたくなる。「自分でできるでしょう」と。
私は少し言葉を換えて「ママは、◯◯(息子)がこれをできるの、知ってるよ。」「◯◯ならできるよ。」「どうやるの?みせて?」などと言って促すことが多い。できるのは本当のことだし、本人も自分でできると結局はうれしいし、誇らしげだったりするものだ。だから、そんなやりとりは大切にしたいと思っている。

でも、できるのを知っているからこそ、喜んでやってあげることがあってもいい。それは逆に、私が息子を100パーセント信じていないとできないことなのだ。せっかくできるのに、やってあげたら図に乗って、やらなくなるんじゃないか。……そんなことは絶対にないと、わたしは信じている。それは先日、靴を脱ぐ場面で確信した。

おっぱいがほしくて号泣がとまらない次男と大荷物を抱えて帰宅し、リビングのある二階に上がろうとしていると、長男が「ぬげない!ママがやって!」と大騒ぎ。ああもう、勘弁してよ……と思いながら、泣き叫ぶ次男を降ろして待たせ、仕方なく玄関に戻ると、右足は脱いであって、左だけ残してあるという状態。嫌味を言いたくなりそうな波を越えてひと呼吸すると、甘えたかったんだなと、ただシンプルにそう思えた私は朗らかに言った。
「あら、こっちは自分で脱げたんだねえ!ステキ!じゃあ、こっちはママがお手伝いするね。」
息子は「ママがおてつだい、してくれる?」と確認。
「うん、してあげる!」と笑顔で返したその瞬間、彼の表情がふわりとゆるんだのがわかった。脱がせ終えると、うれしくってたまらないという感じで「ありがとう!」と言って、意気揚々と階段を上っていったのだった。

自分で脱げるはずの靴を脱がせてやる。あのひと手間がどんなにたいせつなことだったか、時がたつほどに感じる。私自身もすぐまた忘れてしまうかもしれないけれど、折に触れて思い出せたらいいなと思う。きっと、人が支えあって生きていくことの原点だから。

今日もちいさな手を拭こう。

(つづく)