2016年11月23日up
One Mile
Project
2016年11月23日up
私の父は 3年前 99歳で他界した。
その葬儀に 白い運動靴で学ランの男の子が ひとりちょこんと座っていた。
「あの子は 小さい時からよく家に来ていて お父さんとキャッチボールなんかしていたんだよ」
「庭の椅子で 何だか知らないけどよく話しをしていた」と聞いて 何だか胸が熱くなった。
残念ながら その子と話すことは出来なかったが とっても嬉しかった。私を始め 子どもたちは家を離れ住み 父は何気に寂しかったに違いない。その子が 何故父のところに通っていたのか?定かではない。
家族と接することが少なかったのか? 友達がいなかったのか? 色々想像したが そんなことはどうでもよかった。
彼と父は 一緒にいることでお互いが心の支えになっていたのだろう。親しい友達だったのだ。
うつむき加減で肩を落とし 時折顔を挙げじっと祭壇を見る彼が何とも印象的だった。
学ランから見るに高校生だった彼 明らかに親から言われて渋々席にいる様ではなかった。
まさか そんなに大きくなってまで父のところに来ていたとは想像しにくいが 小さい頃の思い出がいっぱいだったのだろう。
父も 参列者の中に彼を見つけ嬉しかったに違いない。
お店のおばちゃん・おじちゃん 近所のお爺ちゃん 道ばたでよく顔を合わせるおばあちゃん 子どもにとって みな大切な人。
子どもにとって 街はふる里だ。 子どもと大人の間に 周りでは計り知れない交流がある。 心の友がいる。
あるマンションの理事会が「マンション内でのあいさつはしないようにしよう」と決めたという新聞囲み記事に 大きな衝撃を受けた。
子どもたちに許されるのは 家族の関係だけなのだろうか?
ふる里の大切さは 歳を重ねるごとに増す心の支えでもある。